昨今「正論バカ」「配慮が足りない」という言葉を聞かない日はありません。作者の周りを見渡しても「空気を読む」「配慮する」「正論を押し付けない」ことが金科玉条のごとく持ち上げられる風潮があります。
しかし、これらの言葉は多くの場合、真の問題から目を逸らすための免罪符として利用されている事に気付いている人は何人いるでしょうか。
我々が本来対処すべきは「正論」と「配慮」の二項対立ではありません。
真に対処すべきは、配慮主義者と現実逃避者が「悪魔の共犯関係」を構築する事で、見たくない現実から「目を逸らす文化圏」を形成し、そこに情弱ビジネス層による「心地よい欺瞞」が加わる事で、」問題放置の構造」が強化される、という強固に出来上がってしまったシステムと、これが生み出す「改善放棄」という実害であると作者は考えます。
真の問題の所在
多くの人が、「正論vs配慮」という対立軸で議論を展開します。しかし、この構図自体が問題の本質を見誤らせています。実際の状況を正確に理解するために、以下の4つの場合を考えてみましょう:
- 配慮ある正論
- 無配慮な正論
- 配慮ある非正論
- 無配慮な非正論
理想的なのは、もちろん「配慮ある正論」です。しかし、ここで重要な事実に直面します。望ましい解決策の多くは、人々の快適領域(コンフォートゾーン)の外にあるのです。
そして、改善を拒む現実逃避者は、この「快適領域」に安住することを好みます。彼らは「配慮」を盾に、耳の痛い正論から逃れようとします。
問題は、一部の配慮主義者が、この現実逃避者の姿勢に加担してしまうことです。彼らは、真の問題解決よりも、表面的な「配慮」を優先することで、共犯関係を築いてしまうのです。また、配慮主義者と現実逃避者が同一である場合も多いです。
情弱ビジネス層による欺瞞の提供
更に事態を悪化させているのが、この状況につけ込む情弱ビジネス層の存在です。彼らは、「優しい言葉」「誰でもできる」「すぐに効果が出る」といった甘い言葉で逃避者に心地よい欺瞞を提供します。
その結果、逃避者は真の改善からますます遠ざかり、問題の根本的な解決は先延ばしにされてしまうのです。
核心的な発見
ここで重要なのは、「改善の意思」の有無です。
- 改善の意思がある人は、配慮の有無に関わらず、本質的な課題解決に向けて行動します。
- 改善の意思がない人は、「配慮」を盾に、問題から目をそらし続けます。
企業の例で考えてみましょう。
配慮ある提案: 逃避者は「提案の仕方が悪い」「時期尚早だ」などと言い訳を見つけ、改善を拒みます。
無配慮な指摘: 逃避者は「配慮がない」「一方的だ」と反発し、やはり改善を拒みます。
結局、配慮の有無に関係なく、逃避者は改善の道を選びません。
そして、配慮主義者は、どちらの場合も「もっと優しく伝えるべき」「相手の気持ちを考えるべき」と、逃避者の言い訳を正当化するような発言をしてしまう事があります。これが、問題解決を阻害する共犯関係を生み出すのです。この構図は、別記事で述べた平和主義者の現実逃避の構造と酷似していると作者は考えています。
真の解決への道筋
この認識は、問題解決への新しいアプローチを示唆します:
- 配慮の有無を議論する前に、相手(と自分自身)に「改善への意思」があるのかを見極める
- 「配慮」という言葉が、逃避のための言い訳として使われていないかを検証する
- 情弱ビジネス層の甘い言葉に惑わされず、本質的な課題から目をそらさない
- 真の「配慮」とは、相手のためになる厳しい言葉をかけることも含む事を理解する
結論:新しい視座の必要性
「正論vs配慮」という従来の議論の枠組みを超え、私たちは「改善への意思」という本質的な問題に目を向ける必要があります。同時に、配慮主義者と逃避者の共犯関係、そして情弱ビジネス層による欺瞞の提供という現実を直視し打倒しなければなりません。
真の発展は、不快な真実に向き合う勇気と、改善への強い意思から生まれます。私たちは、問題の本質を見極め、便利な言い訳を見抜き、実効性のある改善への意思を持って、この課題に立ち向かう強さを身につける必要があると作者は考えます。
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