はじめに
現代の企業や組織において「完璧ではない」という言葉が、様々な問題から目を逸らすための方便として使われている実態があります。特に深刻なのは、この言葉を免罪符として使う人々が、経営層から現場まで、組織の全階層に蔓延していることです。
問題の本質:卑劣な二重基準
職場での不備や改善点を指摘すると、必ずと言っていいほど耳にする言葉があります。「会社は完璧ではない」「人間誰しも完璧ではない」というフレーズです。一見、謙虚で理性的な応答に聞こえるこの言葉の裏側には、実は深刻な組織の歪みが隠されています。
興味深いことに、この言葉を頻繁に使う人々にはある共通した特徴が見られます。それは、自分の不備や怠慢に対しては「完璧ではない」の言葉を盾に取る一方で、他者や他部署の問題に対しては極めて厳格な態度で臨む、というあからさまな二重基準です。
以下の3点が、この問題の核心となります:
- 具体的な改善提案に対して「完璧ではない」という抽象的な言葉で逃れようとする姿勢
- 自己の責任範囲の問題を「完璧ではない」という言葉で正当化する傾向
- 他者の不備に対しては厳格な態度を取りながら、自己の不備には寛容である二重基準
組織における改善活動の現状
東京証券取引所の「コーポレートガバナンス・コード(2021年6月改訂版)」では、取締役会による健全な企業文化の醸成と、従業員の声を活かした実効的な内部通報制度の整備が求められています。しかし、現実の組織では、この理念が十分に実践されているとは言えない状況が続いています。
責任の所在の曖昧化
「完璧ではない」という言葉は、しばしば責任の所在を曖昧にするために使われます。管理職は部下の提案を退ける際に、現場の従業員は自らの失態を正当化する際に、経営層は組織の構造的問題から目を逸らす際に、この便利な言葉を使います。
この言葉を武器として振りかざす人々は、自分に都合の悪い指摘に対しては「完璧を求めるな」と切り捨て、自分が他者を批判する際には「基本的なことさえできていない」と非難する、という矛盾した態度を取ります。
このような自己中心的な二重基準は、組織の健全な成長を著しく阻害しています。
組織の機能不全
特に悪質なのは、この種の言動が特定の階層に限らず、組織の「全階層」に浸透していることです。部長は課長を、課長は主任を、主任は一般社員を批判する際には厳格な基準を適用し、自らが批判される際には「完璧ではない」と開き直るという連鎖が、組織の隅々にまで及んでいます。
改善への障壁
実際の現場では、他者からの具体的な改善提案が「完璧を求めすぎる」という言葉で退けられる一方で、同じ人物が、他部署に対しては厳しい要求を突きつける、という矛盾した状況が日常的に見られます。この二重基準こそが、組織を蝕む重大な病理なのです。
解決への道筋
この問題の解決には、以下のような意識改革が必要です:
- 「完璧ではない」という言葉を免罪符として使用しない組織文化の確立
- 具体的な改善提案に対する具体的な検討プロセスの制度化
- 責任の所在を明確にする仕組みづくり
特に重要なのは、この二重基準の存在を組織全体で認識し、それを克服するための具体的な取り組みです。自己の問題に対しても他者への要求と同じ基準で向き合う勇気が、いま強く求められています。
組織の未来に向けて
「完璧ではない」という言葉の背後に隠れる組織の病理は、現代の多くの企業が直面している重要な課題です。この問題を放置することは、組織の健全な発展を妨げ、最終的には競争力の低下につながります。
必要なのは、完璧を求めることではありません。具体的な問題に対して、具体的な解決策を講じていく姿勢です。そして何より、自己と他者に対して同じ基準を適用する知的誠実さです。
結びに
組織の発展には、問題の直視と具体的な改善活動が不可欠です。「完璧ではない」という言葉を、問題から目を逸らすための方便としてではなく、より良い組織づくりのための出発点として活用していく。そのような意識改革ができる人材が多く生まれる事を、作者は願ってやみません。
この課題に向き合うことは、決して容易ではないでしょう。しかし、この問題を放置することは、組織の未来に対する重大な背信行為です。私たちは今、この組織の病理と真摯に向き合い、自らの二重基準を克服する具体的な一歩を踏み出す時期に来ていると作者は考えます。
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