部下の立場の過剰な保護
昨今、組織における上司と部下の関係性は前代未聞の歪みを見せています。「働き方改革」や「ダイバーシティ」といった聞き心地の良いスローガンの陰で、誰も直視しようとしない問題が進行しています。
それは、「部下の立場の過剰な保護」と
「上司への一方的な非難」の構造です。
この歪みは、単なる世代間ギャップや価値観の相違によるものではなく、現代社会が生み出した構造的問題に起因しています。
組織が抱える三つの病理
1. 自己改善を放棄した部下層の温存
2. メディアによる意図的な印象操作
3. 情報弱者による無責任な批判の増幅
これらの要因は互いに共犯関係を形作り、関連し合い、負の相乗効果を生み出しています。自己改善を怠る部下たちは、メディアの偏向報道を後ろ盾に自己正当化を図り、メディアは視聴率至上主義のもと、安易な上司批判を繰り返し提示します。
そして、情報弱者たちはその歪んだ情報を鵜呑みにし、更なる批判の声を増幅させるのです。この悪循環が、現代の組織を蝕んでいます。
責任回避のメカニズムとしての「ダイバーシティ」
更に、この構造が「ダイバーシティ」の名を借りた責任回避のメカニズムとして機能している点も見逃せません。かつての日本企業では、部下は将来的に上司となることを前提に自己研鑽を重ねることが当然視されていましたが、現在では昇進を拒否する選択が「個人の多様な生き方」として認められています。
これにより、永遠に部下の立場に留まり、単なる批判者としての立場に安住する者が増加しているのです。
経営陣の無関心と責任転嫁
経営陣の多くはこの構造的な歪みに対して、驚くべき無関心さを示しています。彼らは短期的な業績や表面的な「働き方改革」の成果にばかり目を向け、組織の根幹を揺るがすこの問題を直視しようとしていません。
時には部下層からの批判を回避するために、中間管理職層へ過度な責任転嫁を行う事さえあります。
メディアの責任
このような状況下で、メディアも極めて問題のある行動をとっています。一部メディアではありますが、彼らは視聴率や購読者数という短期的な利益を追求するあまり、組織における複雑な力学を単純化し、視聴者の感情に訴えやすい固定的な図式を提供しています。しかし、この単純化された物語は組織の実態からかけ離れています。
加えて、歪んだ報道を無批判に受容する情報弱者の存在も深刻です。彼らは自己の怠慢や能力不足を正当化するために、メディアの提供する心地よい物語を利用し、「ブラック企業」や「パワハラ」といった社会問題を自己改善を拒否する言い訳として使っています。
中間管理職世代の板挟みと変革の可能性
この状況下で最も過酷な立場に置かれているのは、現在の中間管理職世代です。彼らはかつて部下としてパワハラを経験し、その苦痛を身をもって知っていますが、現在は上司として無能な部下と強欲な経営陣の間で板挟みとなっています。彼らは過去のトラウマと向き合いながら、現代の部下への適切な指導方法を模索し、なおかつ上層部からの成果要求にも応えなければなりません。
しかしこの困難な状況にこそ、変革の可能性が潜んでいるのではないかと作者は考えます。この世代は組織の両面を経験し、その苦悩の中で強靭なメンタリティと高い実務能力を培ってきました。よって彼らには、この歪んだ構造を打破するだけの潜在力が備わっていても不思議ではない筈です。
解決への道筋は、まず現状を正確に認識することから始まります。部下の権利を守りながらも、彼らの自己改善を促す仕組みが必要です。メディアには、より複雑な組織の実態を伝える責任があります。そして全ての組織構成員が自己の立場に安住することなく、継続的な成長を目指す文化を確立しなければなりません。
とりわけ重要なのは、板挟みの苦悩を経験してきた中間管理職世代の役割です。彼らは過去の経験を活かし、新しい組織文化を築く担い手となることができます。その実現には、強靭なメンタリティを基盤とした確固たる実務能力の確立が不可欠です。そして最も重要なのは、部下の成長を促しながら、経営層とも建設的な対話を実現する能力です。
これらの要素は、まさに彼らが味わった苦難の中でこそ培われるものでしょう。
結論
現代組織における上司と部下の関係性の歪みは、単に世代間の対立を原因とするものではなく、メディアと情報弱者の共犯関係によって作り出された深刻な社会的病理とも考えられます。この状況を改善するためには、全ての階層における自己改善の意識と建設的な対話の仕組みが不可欠です。特に、板挟みの立場にある中間管理職世代には、その経験を活かした組織変革の担い手としての役割が期待されています。
彼らの持つ潜在能力を最大限に活用することが、組織の健全な発展への鍵となります。なぜなら、彼らの中で苦境に負けず成長し続けた者は、現代組織の矛盾を最も深く理解し、その解決に必要な能力を備えているからです。
私たちは今、この歪んだ構造を直視し、真摯な対話を通じて新しい組織文化を築く必要があります。それは困難な道のりかもしれませんが、避けて通ってはならない課題なのではないでしょうか。
補足:見過ごしてはならない管理職側の二つの問題
ここで終わっても良いのですが、加えて見過ごしてはならない管理職側の二つの問題にも触れておきます。
パワハラ体質の管理職の存在
一つ目は、高度成長期型の思考から脱却できない、パワハラ体質の管理職の存在です。彼らは「俺の時代はもっと厳しかった」という歪んだ正義感を盾に、威圧的な指導や理不尽な叱責を今なお続けています。長時間労働や休日出勤を美徳とし、部下の私生活を軽視する傾向も顕著です。さらに深刻なことに、このような行動が「正しい指導」だと信じ込んでいます。
彼らの存在は、現代の若手人材の離職を加速させ、組織の新陳代謝を著しく阻害しています。また、このような管理職の下で働く中堅社員たちは、トラウマ的な経験から積極的な管理職登用を忌避する傾向にあり、組織の次世代リーダー育成にも深刻な影響を及ぼしています。
真に無能な管理職の存在
そして二つ目は、このようなパワハラ体質への反動として生まれた、真に無能な管理職の存在です。彼らは、これまで論じてきた構造的な問題を隠れ蓑として利用し、自身の怠慢と無能さを正当化しています。具体的には、「部下への配慮」を装いながら必要な指導を放棄し、「働き方改革」と「教育」を口実に自らの責務を部下に押し付け、「ハラスメント防止」という名目で必要なコミュニケーションさえ回避する、といった行動をとります。
このような管理職は、往々にして己の地位に安住し、スキルアップや業務改善への意欲を完全に失っています。彼らは部下の成長どころか、自身の保身のために部下の成長を阻害することさえあります。時として、パワハラを受けた過去の経験を、現在の責任放棄の言い訳として利用する傾向すら見られます。
二つの問題の同時存在が引き起こす根深い問題
このように、時代錯誤なパワハラ体質の管理職と、その反動として生まれた無能で怠惰な管理職という、相反する二つの問題が同時に存在していることこそが、現代組織の抱える根深い問題と言えるでしょう。これは、日本の組織が経験してきた歴史的な振り子運動の負の結果とも言えると作者は考えます。
真の管理職とは、時代の変化に適応しながらも、組織と人材の育成という本質的な責務を忘れない存在でなければなりません。現代社会が突きつける様々な制約や要請を理解しつつ、なお建設的な指導と成長の機会を創出できる力量が問われているのです。この観点から見るとき、時代錯誤な威圧的指導を続ける管理職も、単なる現状維持や責任回避に終始する管理職も、容認できるものではないでしょう。
組織の未来を築くために
組織の未来を築くためには、これら両極端な管理職の淘汰もまた、避けては通れない課題となります。それは単なる世代交代ではなく、真の意味での組織の質的向上を目指す取り組みとなるはずです。
過去の負の遺産を清算しつつ、かつ現代的な課題にも適切に対応できる、真にバランスの取れた管理職像の確立と、それを実現できる人材の育成こそが、今、私たちに求められていると作者は考えます。
ただ、果たして現代の日本に、これを実行できる組織がどれだけあるでしょうか。
(注)この記事はあくまで個人的な経験と考察に基づく「ブログ記事」ですが、もの足りないと感じる方もいらっしゃるでしょう。より深い理論的洞察や厳密性をお求めの方は、中根千枝「タテ社会の人間関係」などが良い参考になると思います。
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