昨今、多くの企業で「現場・現物・現実」を重視する三現主義が掲げられています。しかし、この理念は建前だけに終わっていないでしょうか。現場の声に耳を傾け、実態を把握し、適切な判断を下すという当たり前のプロセスが、実は形骸化している実態を指摘せざるを得ません。
■ 月に何時間もの報告資料作成、その果てに待つ「結論ありき」のダメ出し
私が知っている会社では、担当者が毎月の報告資料作成に追われていました。技術戦略、現場分析、取組内容、などなど。要求される情報は多岐に渡る上、経営層が理解できるレベルへの落とし込みが求められ、その為に多くの人の手を使い、時間もかけられていました。しかし、これらの資料が経営層の意思決定に活かされることはありませんでした。
(実際には企業規模が大きくなるほど経営層に理解できるレベルに落とし込む事自体が不可能になってきますが、そちらは別記事にて述べます)
会議では、用意した資料を元に現状報告を求められますが、それは形だけの儀式でした。経営層は既に頭の中に「自分の正解」を持っており、彼らが求めるのは、三現主義に基づく「正解」ではなく、彼らの「正解」に合致する報告のみです。報告内容がそれと少しでも異なる場合、 厳しい指摘や詰問が飛んでいました。
例えば、過去の量産データを実際にデータベースから引き出し、分析した上で、現状出している見積もり額のコストを満足するのは現実的ではない、と報告すると、担当上層部からは「そんなはずはない。君の報告は間違っている」と、頭ごなしに否定されるのです。結局、意見そのものは潰され、現場では「やっぱり言うだけ無駄だった」という諦めムードが蔓延しました。
このような「結論ありき」の会議は、現場に大きな徒労感を与え、報告に対するモチベーションを著しく低下させます。真摯に現状を分析し、改善策を検討しても、それを経営層が受け取らないのでは、現場は疲弊するばかりです。
■ 形骸化した三現主義がもたらすもの – 組織の硬直化、そして衰退へ
現場の声に耳を傾けず、経営層が自身の経験や過去の成功体験に固執する状況は、組織にとって大きなリスクとなります。市場環境や顧客ニーズは常に変化しており、過去の成功体験が通用するとは限りません。
変化の兆候をいち早く捉え、柔軟に対応するためには、現場からの生の情報が不可欠です。しかし、報告が「経営層への承認を得るためだけの儀式」と化してしまっては、現場は萎縮し、重要な情報が埋もれてしまう可能性があります。
その結果、組織は硬直化し、変化への対応が遅れ、市場での競争力を失っていくでしょう。真の三現主義の実践、すなわち、現場の声を真摯に受け止め、それを意思決定に反映していくことこそが、組織の持続的な成長と発展には不可欠なのです。
■ 感情とメンツを取り除くために
では、どのようにすればこの負のスパイラルから脱却できるのでしょうか。重要なのは、経営層自身が意識を変革し、感情やメンツではなく、事実に基づいた判断を下すことができるようにする事です。
近年注目されているAI技術は、そのための有効な手段の一つとなりえるかもしれません。例えば、現場からの報告をAIが分析し、客観的なデータとして提示することで、経営層のバイアスのかかった解釈を避けることができる可能性があります。
また、感情認識AIを用いて報告者の本音を推測することも、技術的には不可能ではありません。さらに、過去の事例を学習したAIが、現状における最適な意思決定を提案する未来も期待されています。
ただし、これらの技術は発展途上であり、現時点では克服すべき課題も少なくありません。AIの精度向上には質の高いデータが不可欠ですし、AIが出した結論を人間がどのように解釈し、判断するのかという倫理的な問題も残っています。
■ 真の三現主義の実践に向けて
三現主義は、単なるスローガンではありません。それは、組織の持続的な成長と競争力強化のための必須の行動指針です。しかし、現状では多くの組織で、この理念が形骸化し、逆効果となっています。
経営層は、自身の知識や経験には限界があることを認識し、現場の声に真摯に向き合う必要があります。プライドやメンツよりも事業の成果を優先する。この当たり前の姿勢を取り戻すことが、組織の未来を左右する重要な分岐点となるのではと作者は考えます。
AIをはじめとするテクノロジーの進化は、私たちに新たな可能性を提示しています。しかし、忘れてはならないのは、「テクノロジー」はあくまで「ツールに過ぎない」ということです。
真の三現主義の実践には、技術の力と人間の意識改革の両輪が必要不可欠なのです。現場を軽視し、自己満足的な経営を続ける限り、組織の競争力低下は避けられません。真の三現主義の実践こそが、日本の組織の再生への道筋となることを、経営層は深く心に刻むべきではないでしょうか。
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