近年、組織マネジメントにおいて「自責思考」や
「自分事として捉える」という言葉が頻繁に使用
されています。
一見すると、責任感や当事者意識を高めるために
有効な概念のように思えますが、この言葉の使用
には深刻な問題が潜んでいると作者は考えていま
す。
「自責思考」を説く者たちの矛盾
興味深いことに「自責思考」を強く主張する管理
職、上位層ほど、部下や関連部署から問題提起や
困難の報告を受けた際、
「それはあなたの担当でしょう」
「自分で何とかしなさい」
という突き放した対応をする傾向があります。
この反応には以下のような問題点が存在します:
- 自らが説く「自責思考」の理念と、
実際の行動が真っ向から対立している - 問題解決への協力や支援を放棄している
- 組織としての連携や相互支援の価値を
否定している
このような問題を感じたことがある人は、
作者以外にも多いのではないでしょうか。
責任転嫁の巧妙な仕組み
この矛盾した態度の背景には、より深い構造的な
問題が存在します。
本来「自責思考」という概念は、組織全体で問題
に取り組む姿勢を育むためのものであるはずです。
しかし実際には、以下のような歪んだ使われ方を
しています:
- 上位者が責任回避するための便利な道具
として - 部下への責任押し付けを正当化する言い訳
として - 組織的な問題を個人の問題にすり替える為
の方便として
これらの点が、作者が巷にあふれる
「自責思考論者」の言を安易に鵜呑みにすべき
でない、と考える理由になっています。
ただし、
「自責思考論」を論じる事
と、
その論を自身の状況に照らし合わせてどう使うか
は本来別問題であり、ここで述べるどう使うか
(あるいはどう使われるか)に関しては、論を
受け取る側のバックグラウンドにかなりの部分
が依存する事は認識しています。
批判への不適切な反応
話を戻し、少し上で列挙したような矛盾点を
指摘すると、多くの場合、管理職、経営層は
以下のような反応を示します:
- 「仕事に対する責任感」を説き始める
- 部下の当事者意識の欠如を非難する
- 本質的な矛盾の指摘を意図的に無視する
しかし、もうお解かりのように、ここで問題と
すべきは、「自責思考を説く側」の矛盾した
態度であり、説かれた側の責任感の有無は別
の問題です。
こうした論点のすり替えは、多くの会社で
当たり前のように頻繁に行われていると
感じますが、殆どの場合、そのすり替えを
受け取る側も、権力や立場、保身を秤にかけ、
沈黙や放置、事実からの目そらし、が選択
されているのが現状でしょう。
理想と現実のギャップ
ここまで「自責思考」の歪んだ運用について
論じてきましたが、ではそもそもの「自責」
とは本来どうあるべきなのでしょうか。
多くの場合、組織における問題解決には
以下の要素が不可欠です:
- 問題に対する組織全体での取り組み姿勢
- 上位者自身も含めた責任の適切な共有
- 相互支援と協力の促進
しかし現実には、「自責思考」という言葉は
一人歩きし、これらの本質的な要素が置き去り
にされています。その結果、前述したような
責任転嫁の道具として機能し、組織の健全な
成長を阻害する要因となっているのです。
この理想と現実のギャップこそが、組織が抱え
る根本的な病理であり、その解決なくして
真の意味での組織改革は不可能でしょう。
対応策と今後の課題
この状況を改善するためには、以下のような
取り組みが必要と作者は考えます:
- 「自責思考」の本来の意味と目的の再確認
- 上位者自身の行動と言動の一致
- 組織全体での問題解決プロセスの構築
個人レベルでの対応としては:
- 矛盾した状況を明確に認識する
- 建設的な対話を試みる
- 必要に応じて適切な記録を残す
こういた取り組みを地道に繰り返すことが、
自責思考という言葉の悪用を防止し、本来
の組織の健全な成長の助けとなるでしょう。
おわりに
結論として、「自責思考」という概念は、
本来は組織の成長と発展のための重要な要素
であるはずです。しかし、現状ではその本質
が歪められ、責任転嫁の道具として濫用され
ている実態があります。
この問題の解決には、まず「自責思考」を
説く側の矛盾を認識し、真の意味での組織的な
問題解決の姿勢を確立することが不可欠です。
そのためには、単なるスローガンではなく、
実践を伴った真摯な取り組みが必要となるでしょう。
組織の健全な発展を望むのであれば、この「自責思考」
の歪んだ運用を正し、本来あるべき姿に戻していく努力
を今からでも開始してみてはどうでしょうか。
過去の記事1;自責思考と日本の組織文化
過去の記事2;「自責思考」という名の暴力-個人を追い詰める組織の責任転嫁-
よりライトな記事;こうして「自責」は悪用される-正論を装う責任転嫁の実態-
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