「他人は変えられない」
「自分を変えることしかできない」
この言葉を、どれほど多くの人が上司から投げかけられてきたでしょうか。一見、前向きで建設的に聞こえるこの言葉の裏側には、組織の重大な病巣が隠されています。
現代の日本企業において、この「自己改革」という言葉は、組織の無責任さを覆い隠すための便利な隠れ蓑となっています。社員が正当な問題提起をしても、「その状況で自分に何ができるかを考えろ」と突き返されるのが現状です。これは助言ではなく、明らかな責任転嫁です。
この組織の病理は、以下の3つの段階で進行していきます:
- 正当な問題提起が「個人の努力不足」として片付けられる
- 提案者が無力感と自責の念に押しつぶされていく
- 組織全体が改善能力を失い、じわじわと競争力が低下する
特に深刻なのは、この歪んだ構造が「当たり前」として定着していく過程です。問題を指摘する側も、次第に「自分が悪いのかもしれない」という不健全な思考に陥り、やがて声を上げることすら躊躇するようになります。
確かに、すべての問題を組織のせいにすることは正しくありません。
しかし、組織の構造的な欠陥を個人の努力だけで解決できると考えることは、あまりにも非現実的であり、むしろ有害です。
私の体感では、実に8割以上の日本企業がこの病に冒されています。「他人は変えられない」という言葉を、組織の怠慢を正当化するための盾として使用しているのです。これは現代の企業社会における最も深刻な自己欺瞞といえるでしょう。
真の組織改革には、個人の努力と組織の変革が不可欠です。しかし、多くの企業は「個人の変化」だけを求め、自らの変革から目を背けています。この歪んだ構造の中で、有能な人材は次々と離職していきます。彼らは「自己改革」という欺瞞に気づき、より健全な環境を求めて去っていくのです。
特に日本企業では、「和」という名の下に、必要な対立や建設的な議論までが避けられる傾向にあります。しかし、グローバル競争が激化する現代において、このような組織運営は致命的です。
海外企業が積極的な改革を進める中、「個人の努力」という美名のもとに組織の停滞を正当化することは、自滅への道を選ぶことに他なりません。
組織の改善が必要だと指摘すれば、「その中で自分にできることを考えろ」と言われ、個人の努力を促されます。しかし、その言葉を投げかける上司自身が、組織の改善に向けて何か行動を起こしているでしょうか。多くの場合、彼らもまた現状維持を望む既得権益者となっているのです。
真に強い組織とは、個人の成長と組織の変革が互いに高め合う関係にある組織です。しかし、現実には「自己改革」という言葉で個人に責任を押し付け、組織としての責任を放棄している企業があまりにも多いと思うのです。
この不健全な構造を打破するために、私たちは以下の点を真摯に考える必要があります:
- 組織の問題を個人の責任に転嫁していないか
- 建設的な提案を潰すのではなく、育てる文化があるか
- リーダー自身が変革の痛みから逃げていないか
変革には確かに痛みが伴います。しかし、その痛みを避け続けることは、組織の緩やかな死へとつながっていきます。
「自分を変えることしかできない」
この言葉に出会ったとき、私たちは問わなければなりません。それは本当に個人の成長のための言葉なのか、それとも組織の責任逃れの方便なのかを。
真の組織改革は、この不都合な真実に正面から向き合うことから始まります。それなくして、組織も個人も真の成長はありえません。
組織の未来は、この「自己改革」という欺瞞をいかに克服できるかにかかっています。それは困難な道のりかもしれません。しかし、この問題に向き合わない限り、日本の企業社会に目覚ましい発展は望めないと作者は考えます。
この現実から目を背けず、個人と組織の健全な関係を築くことができる組織を果たして我々は作ることができるでしょうか?
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