近年、ビジネスの現場で「わかりやすい説明」と「自責思考」という二つのキーワードが頻繁に取り上げられています。しかし、この二つの概念を掲げる人々の言動には、深刻な矛盾が潜んでいることをご存知でしょうか。
目次
会議の例
ある会議の例を挙げましょう。緊張感に包まれた報告の場において、報告後のコメント時に、上層部は「まったくわからん」「ついていくのが大変なんだから、わかりやすく説明しろ」と言い放ちました。
その瞬間、会議室の空気が凍りつきました。しかし、最も衝撃的だったのは、その後の展開です。
これほど理解できないと主張した彼らが、その内容を理解するために何か行動を起こしたでしょうか? 追加の質問や資料の要求、自主的な学習の痕跡は、一切見られませんでした。
組織の病理
ここに、現代の組織を蝕む深刻な病理が存在します。上層部による露骨なダブルスタンダードです。彼らは部下に対して「相手の立場に立って考えろ」「自分に何が足りないのかを考えろ」と説教します。
しかし、自らはどうでしょうか。理解できない内容に直面した時、彼らは自分の知識不足や理解力の限界を認め、それを改善しようとするでしょうか。
作者の経験では、殆どの場合で答えは「否」です。彼らは自らの無知や怠慢を棚に上げ、すべての責任を説明する側に押し付けます。この身勝手な態度こそが、組織の成長を著しく阻害する最大の要因となっていると作者は考えます。
以下の三点が、この問題の核心部分です:
- 「わかりやすさ」の基準は受け手によって大きく異なり、絶対的な物差しは存在しません
- 自責思考を説く人々が、往々にして自らは他責的である矛盾
- この問題に気付いていない上層部と、それを見抜いている現場との深刻な意識の乖離
有害な組織文化
特に悪質なのは、この状況が単なる怠慢ではなく、組織の中で「正当化された暴力」として機能していることです。上層部は自らの無知を恥じるどころか、それを武器として部下を萎縮させ、支配するための道具として使っています。
彼らの言動には一貫性がありません。部下の報告が理解できないときは「わかりやすく説明しろ」と要求し、自らの指示が部下に伝わらないときは「理解力が足りない」と非難する。
この明白なダブルスタンダードを、彼ら自身が認識していないという、あるいは無視しているという事実は、さらに深刻な問題です。
現場の従業員たちは、この矛盾を痛烈に感じ取っています。熱意を持って準備した報告が、理解しようという意志すら持たない上層部によって一蹴される。この徒労感と諦観は、組織の活力を確実に奪っていきます。
ある会議では、数週間かけて準備した詳細な分析報告が、たった一言の「わかりにくい」で片付けられました。その後、上層部は報告内容の理解に向けた努力を一切せず、結果として重要な改善機会が失われました。これは特異な例ではなく、多くの組織で日常的に発生している現象ではないでしょうか。
上層部のこのような態度は、「理解する努力を放棄する特権」とでも呼ぶべきものです。彼らは自らの地位を利用して、知的怠慢を正当化しているのです。これほど組織にとって有害な特権はありません。
具体的な改革案
ただし、この問題は受け手側にも責任の一端があります。「相手の理解力が低い」という一方的な他責思考もまた、問題の解決を遠ざける要因となっています。発信する側と受け取る側、双方が建設的な対話を避け、お互いを批判し合うような組織文化では、真の成長は望めません。
このような有害な組織文化は、優秀な人材の流出、組織全体の学習能力の低下、イノベーションの停滞、そして形骸化した会議による時間と資源の浪費を引き起こしています。
では、この腐敗した状況を打破するために、具体的にどのような施策が考えられるでしょうか。精神論や個人の意識改革に頼るだけでは、真の変革は望めません。より実効性のある制度的な解決策も必要です。
以下に、具体的な改革案を提示します:
第一に、会議・報告制度自体の構造的改革として「理解度確認シート」の導入を提案します。これは会議参加者全員(当然上層部含む)が、議題に対する事前の理解度を自己評価し、理解が不十分な項目については各自が事前学習すべき項目を明確化するものです。
会議後には理解度の変化を記録し、会議の実効性を数値化します。これにより、「わからない」という発言に伴う具体的な責任が明確になります。
第二に、「双方向フィードバックシステム」の確立です。説明する側の分かりやすさだけでなく、聞く側の準備状況や理解への努力も評価対象とします。
特に重要なのは、360度評価の一環として、上司の「理解する努力」も評価項目に含めることです。これらの評価を人事考課に反映させることで、実効性を担保します。
第三に、「学習責任制度」の導入です。「理解できない」と表明した場合、具体的な学習計画の提出を義務付け、その実施状況を組織として追跡・管理します。特に管理職以上には、より厳格な運用を求めます。
このような制度的枠組みを整備することで、以下の効果が期待できます:
- 「理解できない」という発言に伴う責任の明確化
- 上層部の学習意欲向上と自責的行動の促進
- 会議の実効性向上と時間の有効活用
- 組織全体の学習文化の醸成
結論
もちろん、これらの制度導入だけでは問題は解決しないでしょう。しかし、制度という「形」があることで、組織文化や個人の行動変容を促すきっかけとなります。特に、上層部のダブルスタンダードに対して、具体的なチェック機能を果たすことが期待できます。
さらに、この制度改革と並行して、管理職層は自らの言動を振り返り、「わかりやすさ」と「自責思考」について、実践を伴った理解を深める必要があります。現場レベルでも、単なる批判や諦めではなく、建設的な提案や改善策を積極的に発信していく姿勢が重要です。
確かに、これらの改革は容易な道のりではありません。現状を最も変えたくない人々が、往々にして組織の上層部に位置しているからです。しかし、この問題に目を背けることは、組織の緩やかな死への道を選ぶことと同義です。
今、我々の組織で行われている会議や報告の場を思い返してみてください。そこに真の対話と学びはありますか?それとも、上層部の自己満足的な権力行使とダブルスタンダードの展示場と化していませんか?
組織の未来は、この腐敗した構造に対して、私たちがどのような具体的行動を起こせるかにかかっているのです。精神論を超えた、実効性のある制度改革こそが、真の変革への第一歩となるのではないでしょうか。
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