「誰でもわかるように簡単に説明してください」
「初心者でもわかる資料を作成してください」
このセリフを言われたことは、人生で一度や二度ではないのではないでしょうか。一見、理に適ったように見えるこれらのセリフは、実は私たちの思考や判断に大きな歪みを齎している可能性があります。
作者の経験の範囲ではありますが、会議などでこの言葉を聞いた場合、参加者には「複雑な現実を過度に単純化」しようとする危険な兆候があることが大半でした。
特に近年、この「分かりやすさ」への要求は、本来の目的を見失うほどまでにエスカレートしているのではないかと作者は危惧しています。
なぜ「分かりやすさ」への過度な要求が問題なのか
情報を単純化することは、必然的に重要な要素を削ぎ落とすことを意味します。作者の経験では、特に以下の3つの要素が犠牲になりやすい傾向にあります:
- 事象の背景や経緯
- 複数の要因が絡み合う技術的な詳細
- 報告者にとって不都合な情報
これらの要素を省略することで、受け手は表面的な理解で満足し、安易な判断に走りがちです。特に組織の上層部においては、複雑な現実から目をそらし、表層的な理解に甘んじる姿勢が顕著です。
彼らは自らの無知を「分かりやすさ」という美名で覆い隠し、本質的な理解や深い洞察を放棄することで、組織の健全な意思決定プロセスを阻害しているのです。
「分かりやすさ」と「正しさ」は別物
「難しいことを簡単に説明できる人が優秀だ」という評価は、ビジネスの現場でしばしば耳にします。確かに、複雑な内容を上手く整理して伝えることには意味があります。しかし、ここで立ち止まって考えてみる必要があります。
そもそも「分かりやすい説明」とは何でしょうか。
それは多くの場合、複雑な事象から一部の要素を抽出し、単純化して示すことを意味します。ところが、ビジネスが日々複雑化している昨今の状況下では、この単純化のプロセスで失われる情報があまりにも多いのが実情です。
現実の多くの事象は、本質的に複雑で多面的です。それを無理に単純化することは、往々にして重要な要素を見落とすことにつながります。特に企業の上層部からこうした要求が出される場合、それは往々にして「理解する努力を放棄した」事の言い訳として機能しています。
実際の会議の現場では、本来議論すべき内容の正確性よりも、プレゼンテーションの体裁や表現方法に過度な注目が集まっています。これは本末転倒と言わざるを得ません。
複雑さを受け入れる勇気の必要性
確かに、意図的に情報を複雑に見せかけて不正を隠蔽しようとするケースや、単に説明能力が不足しているケースも存在します。
しかし、それらは別個の問題として扱うべきです。本質的に複雑な事象を「分かりやすく」という名目で単純化してしまうことは、むしろ危険です。特に経営判断に関わる重要な意思決定の場面では、細部への理解や複雑な背景の把握が不可欠です。
作者の経験ではありますが、本質的ではあるが複雑で、現場が知恵を絞った問題提起が経営陣の怠惰と無理解の下で疎まれ、拒絶される一方で、表面的でわかりやすく、本質的には無意味な手続き論のみの施策が称賛とともに採用されることで、結果的に組織内の問題が何一つ改善されない結果になったケースが数多くありました。
責任ある立場にある者が「難しいことは分からない」と言って情報の単純化を要求することは、自らの職責を放棄することに等しいと言えます。現場の実務者たちは、そうした上層部の態度に対して冷ややかな目を向けています。
これからの組織に求められる姿勢
今後の組織運営において重要なのは、「分かりやすさ」に固執することを控え、本質的な議論や重要な細部を見落とさないようにすることです。特に以下の点に注意を払う必要があります:
- 複雑な事象を理解しようとする姿勢を組織全体で持つこと
- 表面的な「分かりやすさ」よりも、正確性を重視すること
- 重要な判断に関わる者は、自ら学び理解する努力を怠らないこと
非常に基本的なことではありますが、この3点が守られていれば最低限の判断精度は保たれると作者は考えます。
結論として
「分かりやすさ」は確かに重要な要素の一つですが、それを過度に追求することは危険です。組織として必要なのは、複雑な現実を直視し、それを正確に理解しようとする姿勢です。
特に責任ある立場にある者は、「分かりやすく説明してほしい」という要求の裏に、自らの理解放棄や責任放棄が隠れていないか、真摯に省みる必要があります。
真の問題解決や適切な意思決定のためには、時として複雑さと向き合う勇気が必要なのです。これは組織の成長と発展にとって、避けては通れない課題だと言えるでしょう。
補足1 – 報告する側の責任
本記事では主に「分かりやすさ」を要求する側の問題点を指摘してきましたが、報告する側にも看過できない問題があることを指摘しておかねばなりません。
「あまり難しいことを言っても仕方がない」
「技術的な事は解らないと思うので省略します」
これらの言葉を、私たちはどれほど安易に口にしてきたでしょうか。こうした態度は、実は「相手の理解力を軽視する傲慢さ」と「丁寧な説明を避けたい自身の怠慢」の言い訳に過ぎません。
報告する側には、複雑な事象を正確に理解し、それを誠実に伝える責任があります。確かにその過程は労力を要し、時として困難を伴うものです。しかし、その努力を怠り、安易な省略や単純化に逃げることは、組織にとって重大な損失をもたらす可能性があります。
報告する立場の者は、「相手が理解できないだろう」という思い込みを捨て、いかにすれば正確な情報を効果的に伝えられるか、真摯に考え抜く必要があります。それこそが、プロフェッショナルとしての責務なのです。
補足2 – 「わかりやすさ」要求の裏にある病理の複層構造
ここで終えることもできますが、もう1つだけ重要な補足をしておきます。本稿の内容は、組織上層部の方々にとって受け入れがたく映るかもしれません。しかし、その違和感や不快感は、実は皆さまが日々の会議で部下たちに与えているものと同質なのではないでしょうか。
もちろん、経営判断に必要な正確な情報を求め、適切な質問やコメントをされる上層部の方々も少なくありません。その真摯な姿勢は、組織の健全性を保つ上で極めて重要です。
一方で、記事中では明確に触れませんでしたが、複雑な資料作成で不備を隠蔽したり、定量化の甘さや課題設定の浅薄さを「実務の遂行」という建前で誤魔化したりする者たちの存在もまた事実です。彼らの行為は、上層部の知的怠慢とは別個の、しかし同様に深刻な組織の害悪として認識し、排除していく必要があります。
つまり、組織における「分かりやすさ」の問題は、上層部の態度だけでなく、それを逆手に取って不正を働く者たちの存在をも含めた、複層的な課題として捉える必要があると作者は考えます。
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